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経営コンサルタント 西塚宏が、コンサルティング活動で全国を飛び回って感じた事や、日々の生活等を綴った日記です。

会津若松

この写真は、会津若松市の許可を得た。戊辰戦争後、城は解体された。しかし、この写真は解体前の写真で貴重なものである。市は乏しい予算の中から復元作業を続けている。
会津若松のホームページには、詳細な情報が載っているのでご覧になることを薦めたい。


この写真は、イタリア・ミラノ市にあるアキーレ・ベルタレッリコレクションで所蔵していたもので、明治時代にイタリア人が横浜から持ち帰ったものです。

 鶴ヶ城取り壊し前の写真は、小山弥三郎という青年写真師が撮影したというのが定説になっているが、いつ撮影されたかは定かではない。弥三郎は、スイス人貿易商でありデンマーク総領事を兼ねていたエドワード・ヴァビエと同行者のエルネスト・ヴァビエが、東北地方の養蚕視察を行った際に写真師として雇われた。この旅行にはフランス人のマラン神父が通訳として同行し、旅行記を残している。

 その旅行記によると、神父は1872年(明治5年)6月22日に若松に到着し、「五階建ての城などは本当に見事な光景であったが、ちょっと見ただけで満足しなければならなかったのは、残念であった」とある。ちょっと見ただけの時間で8枚以上の写真を撮影するには時間がなさすぎる。現在のカメラとは違い、当時の湿板写真は暗室テントごと移動しなければならなかったからである。しかし、このとき神父は、一行とは遅れ別行動をとっていたのである。

 このことを裏付ける資料がある。当時本丸にあった若松県庁の日誌に「明治5年5月14日快晴、丁抹国人両名城跡拝見出る」「16日快晴、丁抹国総領事官へ新潟県令よりの書状、猪苗代まで添書いたし持たせ遣わし候事、翌朝付添人より返事来る」とある。

また、リヨンで出版された同行者エルネストの著作の中では、1872年6月19日に若松で「四齢期の蚕」を見たとある。当時日本はまだ旧暦を使っていたが、この年の5月14日を新暦に直すと6月19日となり、日本人とスイス人が残した文献の日付が一致することになる。

また、5月16日は6月21日となるため、神父が若松に到着する6月22日の前日までヴァビエらは若松に滞在したのである。

 若松県庁日誌によると、ヴァビラエらは3日間滞在しており、弥三郎が鶴ヶ城を撮影するのに十分な余裕があったことが分かる。取り壊し前の鶴ヶ城が撮影されたのは、明治5年5月14日から16日の間であると特定できそうである。

|2008,03,21 10:10 AM | 全国行脚日記 | comments (0) | trackback (0) |

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